また、今回はちょっとややこしい話。
今日の東京新聞の小さなコラム、「大きな政府」がいいのか悪いのか、それはさておき、このコラムの中の「
米国による市場至上主義の終焉」「
冷戦終了後の世界のパラダイムとなったアングロサクソン型の市場主義モデルは破綻したのか」のフレーズにおおいに考えさせられた。
もちろん、昨今のアメリカのサブプライムローン問題に端を発する金融機関の破綻に触れての話だが、あれだけもてはやされたアメリカ型のマネーゲームのビジネスモデルが音を立てて崩れているようだ。
あの小さな政府志向の市場至上主義の権化・ブッシュ政権が、75兆円もの巨額税金を金融機関の救済のための投入に、議会説得に四苦八苦している姿にそれが現れている。
私自身、このブログでも、たとえば「No.0354 幸せってなんだっけ?」でも言ったように、市場至上主義には、根本的な疑問を持っている。
それは、そこでも言ったように、その背後にある経済学に根本的な疑問を持っているからだ。今の市場至上主義の背景にある新自由主義経済学は、ある前提に立っている。「人の消費欲望は無限であり、一方、その消費欲望を満たす生産のための資源も無限にある、その資源を使って無限に豊かさを実現することは絶対的に善である。また、その豊かさを実現する上で、市場主義が至上である」という前提、仮定である。
しかし、昨今の石油などエネルギー資源の枯渇問題、温暖化など地球の環境処理能力という資源の限界、これは、とりもなおさず先の経済学の前提が崩れているということではないのか。今の地球で、市場至上主義で人々の欲望を無限に解放する余裕はない、それでは持続不可能だ。
サブプライムローンといった、単なる経済的なしくみの破綻ばかりでなく、市場至上主義へのもっと根本的な不安、このままで地球社会は持つのか、そういった不安が世界の人々の心に潜在している結果ではないか、それが昨今のアメリカの混乱の根底にあるのではないのかと私は考えている。
市場至上主義は、石油や穀物、水といった人間生存の基本資材までも投機といった欲望の対象にする。