日本は、南の亜熱帯の沖縄から北の亜寒帯の北海道まで、変化には富んでいますが、おおむね植物の生育に適した気温分布です。その上、年間降水量1700mmと、水にも恵まれています。
植物の生育条件は、気温と水。だから、日本は植物の生育には恵まれています。「あとは野となれ、山となれ」、これは、植物の生育に恵まれた日本だからこそ言えることわざ。 条件に恵まれない地域では、一度荒らした土地は、「あとは砂漠となれ、石ころの山となれ」です。
草津白根山頂
ご存知、草津白根山頂です。左肩にはエメラルド・グリーンの火口湖・
湯釜を見に行く人の列が続いています。
このあたり一面は、ほとんど草木の見られない石ころの山です。白根山は、1982年(明治15年)、1939(昭和14年)に大水蒸気爆発を起こし、20数年くらい前にも山頂付近を吹き飛ばしました。今見るのは、その堆積物です。
しかし、このまま火山爆発がなければ、いつかは(何百年後、何千年後?)には、樹木などで覆われるかもしれません。
これが、その証拠です。
爆発前には、火口周辺にも、こんな大木が生えていました。爆発の熱とガスで立ち枯れました。
これも証拠です。手前は、白根山、向こうは本白根山です。同じ気象条件でありながら、しばらく(約3000年?)爆発のなかった本白根山は、シラビソなど樹木が育っています。
それを理解するには、「
遷移」という現象を知らなければなりません。
溶岩や砂礫の上は、最初は土がありませんから植物はまったく育ちません。それでも、何年、何十年という時間のうちには、地衣類(コケと菌類の共生体)、コケ類の胞子などが風に乗ってどこからか飛んできて徐々に岩に貼りつきます。さらに何十年、何百年という時間経過のなかで、それらも朽ちて遺体となって窪地に溜まり、風化で細かく砕けた岩石の粒と混ざって土となっていきます。すると、やがてその土を利用して一年生の草、つづいて多年生の草が根づいてきます。こうしてだんだんと堆積物がたまって土が深くなっていきます(腐植の混じらない鉱物だけでは、「土壌」とはいいません)。
次いでやってくるのが、ヤシャブシなどの低木です。そして、その低木の落ち葉が積もったり木が枯れたりを繰り返し、さらに土壌は深くなっていきます。こうして植物の生長に適した土ができることを、「土壌生成作用」といいます。
土壌がそれなりにできてくれば、次の出番は、ダケカンバなど陽樹(明るい場所を好む樹木)の高木です。しかし、陽樹が大きくなって陰をつくるようになると、その日陰ではもはや陽樹は育たなくなり、後は陰樹(暗いところでも育つ樹木)が優占してきます。白根山のような高山では、最終的には、シラビソやコメツガなどの針葉樹です。
すなわち、遷移は、一般に次のような経緯をたどります。それは、数百年から千年単位の営為です。特に、高山のような条件の厳しいところでは、もっと長い時間がかかるのでしょう。
裸地→地衣蘚苔類→一年生草本→多年生草本→低木→陽性高木→陰性高木(極相林)
これは、火口から少し離れた、最近の爆発物で覆われなかったところですが、草本類やクロマメノキなどの低木の段階でしょうか。
これは、もっと離れたところです。落葉した冬枯れのため、よくは解りませんが、ダケカンバ、カラマツなどの陽性高木が入り始めています。
こうして、徐々に遷移をしていくのです。
今生きているわれわれは見ることはできませんが、もし大噴火がなければ、数百年後、千年後には、先の本白根山のような姿になっているかもしれません。
これも、植物の生育条件に恵まれた「あとは野となれ、山となれ」の日本だから可能だといえます。