いよいよ今日から10月です。
今日も森林ボランティアで、所沢・下富の農用林の下刈り。
午前中は曇り、午後は小雨で暑くもなく、
下刈り陽気(「No.0058 森林ボランティア 下刈り作業」参照)でした。
しかし下刈りの話は、もう何度かしているので、今回は、趣向を変えて、三富新田開拓の歴史の話。
上富、中富、下富を三富といいますが、私たちがフィールドにしているのは、そのうち下富の農用林。
三富新田が開拓されたのは、1690年代の元禄の世。開拓を命じたのは、当時の川越藩主・柳沢吉保でした。
それまでの武蔵野台地は、関東ローム層に覆われて、地味は痩せ、ススキと雑木の台地でした。開墾しても、ローム層は雨が降れば土が容易に流出し、また乾けば、関東特有の冬の季節風に飛ばされ、畑地には不向きでした。
それを、画期的な方法により、耕地に変えたのです。開拓面積は、1400町歩。
一本の道を通し、その両側に、間口40間(72m)、奥行き375間(675M)の土地を一軒の農家分として、分け与えたのです。
それだけではありません。その土地利用計画が秀逸。
各地割には、道に面したところに屋敷地、その奥に耕作地、さらにその奥に平地林(雑木林)を配したのです。この雑木林を配したところがミソ。
もちろん、屋敷林にも、ケヤキ、スギ、ヒノキやタケなど建築材や日常道具作りに有用な木が植えられ、それも防風に役立ったことはいうまでもありませんが、まずは、雑木林を配したお陰で季節風から耕地の風食を防ぐことができました。
雑木林の効用はそれだけではありません。落ち葉は、掻き集められ畑の肥料として、そして雑木は、定期的に伐られ、薪など重要なエネルギー資源になりました。その灰ももちろんいいカリ肥料でした。雑木林が生活を支えたといっても過言ではないのです。
その雑木林は、農家によってクヌギ、コナラなどが植えられた人工林だったのです。
左の写真で、黄色が屋敷、薄い緑が耕地、濃い緑が雑木林です。合わせて5町歩。これが、当時の農家一軒が生活していくに過不足ない面積だったようです。
落ち葉は、畑の肥料として貴重であっただけでなく、川越名物サツマイモの作付けになくてはならないものでした。落ち葉が積み上げられ、その発酵熱を利用して寒い春からサツマイモの挿し苗作りが行われたのです。
いや逆にこの三富新田の雑木林があったために、サツマイモが川越名物になったといえるのではないでしょうか。
私たちのボランティアは、この農用雑木林を回復しようとしているのです。
両側に屋敷が並んでいた道の今日の姿です。
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