昨日は、自由時間倶楽部解散後の自主運営団体「頼れる大人の会」のイベント・森の勉強会に参加してきました。素晴らしい小春日和のもと 明治神宮の森 と、埼玉県朝霞市の有志市民団体が手掛ける 朝霞の森 の二か所の散策で森について学びました。
明治神宮の森 プロの自然案内人で森林学者・宮脇昭氏の弟子でもあるという目須田修さん(gozan自然学校プロデューサー/遊ばせ人)の案内で散策。
この「神宮の森」については、このブログでも以前書きましたが(
http://forestjo.exblog.jp/12725568/)、大正初期に当時の日本の代表的な植物学者、造園学者が、造園した後はあまり手をかけず荘厳な森が成立するよう遠大・緻密な計画を立て「作り上げた森」です。全国から10万本の献木があり、12万本の木を植えて造園された。
百年近く経った今ではそれが成功し大都会の中心にある人工の森でありながら自然林に近い大森林として世界的にも有名です。
神々しい木漏れ陽
さすがプロの解説者、様々な面白い話がありましたが、今回、最も感銘を受けたお話。
「大正初期、上記の日本の代表的森林、造園学者を招集して『明治神宮造営局』が作られた。そこで学者たちが計画書を作成し、時の総理大臣・大隈重信に提出した。その計画書の骨子は『神社の森は永遠に続くものでなければならない。それには自然林に近い状態をつくり上げることだ』『そのためにはこの地で本来の森として安定するカシ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹を主木とすべき』
それに対し、大隈総理大臣は『明治神宮の森も、伊勢神宮や日光東照宮のような荘厳な杉林にすべきである。明治天皇を祀る社を雑木の藪にするつもりか』と大反対したとのこと。困惑した学者たちは、スギは関東ローム層で乾燥するこの地には向かないことなどあらゆるデータを駆使し、総理大臣を説得した。
それが奏功し、今日の森が出来上がっている。もしこのとき説得できなかったら、今頃明治神宮の森は、やせ細った杉が茂る(あるいは公害に弱い杉は全滅?)みすぼらしい森になっていた。どのような森を後世に残すのか、森づくりの主導者たちの強い信念のお蔭である」
一か月後には、日本一の初詣客で埋まる拝殿前。 拝殿の柱には、お賽銭のコインの傷跡が無数。 大都市の中心の大森林の紅黄葉も初冬の澄んだ空気に映えていました。
周りには、砂糖醤油を焦がしたような芳しい香りが漂う。カツラの黄葉。
朝霞の森
この20ha近い森は、幾多の変遷を経てきています。
戦争中は陸軍被服工廠でしたが戦後に米軍に接収され、「キャンプ朝霞」となっていた。昭和49年に日本に返還され国有地となった。
その後もさまざまな変遷を経て、平成15年以降、朝霞市の管理のもと利用計画が策定され始めている。
昭和49年の米軍基地からの返還後、放置され遷移に任された森林。荒れた藪になっている。
米軍基地であった名残りが。
ここには、マッカーサー司令部の一部があり、星条旗が翻っていた。
この日の参加者の幾人かが有志市民として、この「朝霞の森」の森づくりに参加し、計画を遂行している。
市民、子供たちの憩える場として素晴らしい自己責任、相互思いやりの精神の憲章を作り、場づくりをしている。
ちなみに、この向こうの空き地は、高層の国家公務員住宅が建てられる予定であったが、東日本大震災後に当時の民主党政権により中止された。
「枯れ尾花 兵(つわもの)どもの夢の跡」