遠野を見て、そのまま盛岡へ。24日は、盛岡泊まり。
ホテルにチェックインして、すぐ飛び出して
岩手公園(盛岡城址)へ。
市の中心を貫いて涛々と流れる
北上川とその向こうには
岩手山。開運橋より。
岩手山の威容は、後に翌朝の写真で。
岩手公園の様子も後のこととして、その夜は、この地在住の旧知の人と
30年ぶりの再会でした。
氏は、私の元会社の一年先輩ですが、30年前にトラバーユして、郷里の博物館勤務の後、地元の郷土史家として、今は大学教授ほか、文化財保護委員、NPO理事長など多くの要職を果たしています。著書なども多数です。
春の一夜を、元の会社の話、共通の知人・仕事の話、みちのく歴史・文化の話と語り尽くしました。
みちのくを訪ねて、旧知の郷土史家から話を聞く、これに勝る至福はありませんでした。
次回は、私が東京・小石川植物園を案内することを約して分かれました。
岩手公園の植物誌。
トチノキの花:トチノキ科 公園の大木にいっぱいの花をつけていました。秋にはトチの実になります。
オトコヨウゾメ:スイカズラ科 どなたか、この名前の由来を教えてください。
夕日を浴びる盛岡城址のカエデ類
オオモミジ、イタヤカエデなどがありました。
石川啄木は、盛岡中学時代、教室を抜け出し、ここに寝転んで岩手山を眺めながら思索(詩作?)に耽ったといいます。
翌朝6時の
岩手山(2041m)の威容です。同じく開運橋から。
今日は、雲ひとつない五月晴れです。
これほど大都市の近くに、これほど見事な山が見えるところはないでしょう。深田久弥も『日本百名山』で言っています(郷土史家先生に教えて貰いました)。「盛岡の風景は岩手山によって生きている。一つの都会に一つの山がこれほど力強く迫っている例は、他にないだろう」
盛岡の岩手山と北上川もそうですが、今回の一人旅で、遠野→盛岡→青森→弘前(素通り)→秋田と経巡りながら(埼玉からこれだけ回って、なんと12,000円)、車窓から、残雪の山と、いずれも雪解け水を集めて涛々と流れる川を見て、大いに合点するするところがありました。
「雪は、自然のダム、それが日本の豊穣を生み出している!」と。
次回は,最後の「三内丸山物語」です。