白根高原四日目の「きょうよう(今日の用事)」=(社)嬬恋軽井沢自然倶楽部の理事会出席を終えて、台風来襲前の昨夜、さいたま市に帰ってきました。
今回は、それとは関係なくまったくあらぬ方向のお話。
私は10年位前?、自分のホームページで戯れに「
草軽電鉄復活の機運を盛り上げる会」を立ち上げていた。
「草軽電鉄を復活する会」ではあまりに責任も重く、担いきれない。「復活の機運を盛り上げる会」なら気楽だ、という理由。
さて草軽電鉄の話だが、この草軽電鉄に実際に乗った経験をお持ちの方もあろうと思われるが(当然私は乗ったことがない)、この路線はスイスの山岳鉄道をモデルに、大正4年の一部開業から昭和37年の全線廃線まで軽井沢と草津温泉の間55kmを結んで、最盛期には物資の輸送、人員の輸送にと大きく貢献した。
しかしモータリゼーションの進展に抗しきれず、先にも言うように昭和37年にあえなく廃線。
この地を訪れるようになって、いつも思う。「
草軽電鉄が残っていれば、実用はいざ知らず、その観光資源としての価値やいかばかりか」と。
浅間、白根、四阿の名山を擁する、日本有数の高原の温泉地域。アジアのスイスにもなり得た?
それは文化遺産でもあった。日本初の総天然色映画
「カルメン故郷に帰る」をはじめ、「
山鳩」など計7本でこの山岳鉄道が舞台となった。
北軽井沢観光協会にて。
この観光協会で、下の地図(¥500)を手に入れた。これが在りし日の路線図である。軽井沢から峠を越えて吾妻川に下り、草津温泉まで登る。
廃線後も唯一、当時の姿を残す
北軽井沢駅。手前が機関車=通称
カブトムシのレプリカ。
当時のプラットホーム。「カルメン故郷に帰る」でストリッパー役の
高峰秀子が降り立ったのがこのホームだという。
草津ゴルフ場横のこの道が元軌道だった。
嬬恋村今井のこの農道も。
この農道の地点の車窓からは、こんな浅間の風景も見られた?
嬬恋軽井沢自然倶楽部では、毎年、この
廃線跡を歩くイベントを行っている。
博ちゃんの写真日記でも、この山岳鉄道のことを載せています。