「雨や森は生命の母であり植物は動物の先輩だ。清水の流れや森の緑が美しく見えるのは、それが人間の生命にとって善だからだろう」
「私たち生物はこの無償でかけがえのない循環の大切な価値を感性で知っている。・・・雪や雲や水や緑が美しく見えるのがその感性だろう」
岡留恒健著「機長の『空からの便り』」(山と渓谷社)を読んだ。上の文はその本の中の文章である。
しかし、すごい人がいるものだ。
岡留氏(1934年生まれ)は、慶応の学生時代は二年連続デビスカップ杯テニス世界大会日本代表、日本航空(問題の航空会社だが、ここは企業の話ではなく個人の話)に地上職で入社しその後独学に近い形でパイロットの資格を取って機長となり、さらには52歳でエベレストに行き最後のところで器具の不具合で登頂は断念したが高齢者の無酸素最高地点登山の記録をつくったという人である。
そして操縦席から地球の環境劣化を見続けた中で、あるいは山登りを通じて地球環境や南北問題に目覚め、その後は日本ユニセフ協会の評議員をつとめたという。この本も全編、地球問題を憂う書だ。
私がもう何度か触れてきた人生ステージ論―「学生(がくしょう)期」「家住(かじゅう)期」「林住(りんじゅう)期」「遊行(ゆぎょう)期」でいえば、「学生期」が勉学とテニス、「家住期」が機長パイロット、「林住期」が山登りと環境問題と、それぞれのステージで分野が違い、にもかかわらずいずれのステージでも頂点を極めている!
私も「学生期」が文学部哲学科、「家住期」がマーケティング、「林住期」が森林インストラクターや環境カウンセラーと三つのステージを別々に経てきたが、そのスケールがまったく違う。
地球生態系は、生産者、消費者、分解者のループを通じた物質の循環とエネルギーの流れで成り立っている。生産者の植物が太陽の光エネルギーを使って水と二酸化炭素から有機物を合成し、それを消費者である動物が食べ、これら植動物の遺体や排泄物を分解者である菌類が分解して熱と水と二酸化炭素に戻し、地球生態系は回っていく。
そうした地球生態系の一員である人間には、もともとその生態系の循環にとっていいもの(善)であるものは、美しいと感じる感性が宿っている。
だから、そうした循環の中にあるきれいな水や、森の緑や、雲や雪(これらは地上の熱を上空に運び放熱し、大気圏外に捨てるという大事な役割をもっている)を見ると美しいと感じる。
そうした循環から外れたゴミや汚れた水や破壊された森を見ると汚いと感じる。
工業科学の粋である飛行機を操り、操縦席から全地球を眺め、エベレストで地球の一つの究極を見てきた人の文章だけに実感が篭っている、そう思うのは私だけだろうか?
彩湖一周
午後から思い立ち、一人で彩湖を一周してきました。
秋が瀬・さくらそう公園に車を停め、そこから彩湖一周約10km余です。彩湖は荒川の調整池として首都圏の大切な水がめとなっています。
以下、写真を中心に。
彩湖 後ろは外環道・
幸魂大橋
オオバン
アオサギ
カワウ
潜水したカワウが残した波紋
バードウォッチャー
荒川河川敷ゴルフ場