小学校中退、独学で博士となった世界的植物学者・故牧野富太郎の伝記「
小説牧野富太郎―草を褥(しとね)に」(大原富枝)を昨日読んで、大感激したので、急に東京練馬区の
牧野記念公園を訪ねて見たくなりました。
この公園は、富太郎が94歳でその天寿を全うするまで住んだ自宅を、練馬区が世界的植物学者の記念公園としたもの。
700坪弱のその自宅は、その実力は認められながらも学歴の無さ故に一生を薄給の東大講師で終わった富太郎のために(富太郎は、土佐の造り酒屋の一人っ子でもともと裕福であったが、植物研究のために自身が若い内に財産を蕩尽した)、寿衛子夫人が、食うために始め成功ののち人に譲った待合「いまむら」の処分金で、武蔵野の雑木林を買い与えたものだという。
「東大泉を七百坪買いました」 手付金を払うと寿衛子は夫の牧野富太郎に報告した。
「七百坪? そ、それは広すぎる」富太郎はそう答えたという。
寿衛子は、七百坪やそこらで言葉を詰まらせている夫を軽蔑するように眺めて、「いいえ、狭すぎます。二千坪以上は必要です。でも、お金が足りませんの」と情けなさそうにそう答えた。「家を建てるお金を残しておかなければなりませんから」
「皆の寝るところだけがあればいい、あなたの研究室と書斎だけはたっぷり。そして、もし母屋が失火したり、類焼することがあっても十分安全な距離をとって、標本庫が必要です。残った庭にはあなたの好きな植物を出来るだけたくさん植えたいのですけれどね」(上記富太郎伝より) しかし、富太郎の子を13人産み、そのうちの6人を育て上げ、貧乏の中でも夫の研究を支え続けてきた夫人は、この自宅の完成2年後、子宮ガンのため55歳で亡くなった。自身は労苦に耐えながら、富太郎の研究のために一筋に捧げつくした一生だったという。
家守りし妻の恵みやわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹 寿衛子の墓に刻まれた富太郎の句である。富太郎は、当時発見した新種の笹に「スエコザサ」の和名、「ササ・スエコヤナ」の学名をつけた。
スエコザサ 富太郎の胸像。
公園内。富太郎の胸像の周りを、スエコザサが囲っている。
保存された富太郎の書斎。
晩年の富太郎。
掛け軸。
草を褥に木の根を枕 花と恋して五十年 公園内には340余種の草木類があるといいます。
前回の記事の
アカシデの花穂もありました。
コブシの実。
この形から拳(こぶし)の名がつけられた。
キツネノカミソリ 帰りに
石神井公園に立ち寄ってきました。
石神井公園が、平安から中世にかけてこの地を支配した豊島氏の石神井城の跡だとは、はじめて知りました。
私には全く関係ありませんが。