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2017年 03月 09日
今冬最後の寒気団か?
このところの「文化系」ネタの大谷崎ワールドを、それでも面白がってくれる人もいるので、図に乗って・・・。 なんとワン・センテンス420文字という文章を『細雪』の中で見つけました。ほかにもっと長いセンテンスがあるのかどうかは知りませんが。 これも平安神宮の観桜のシーンと並んで名文といわれる「蛍狩」のシーンのところ。 ・・・・・・幸子は蛍狩と云へば、文楽座で見た朝顔日記の宇治の場面、-----人形の深雪と駒沢とが屋形船の中でささやきを交す情景を知つてゐるだけで、妙子が云つたやうに友禅の振袖などを着て、野面の夕風に裾や袂を翻しながら、団扇で彼方此方と蛍を追ふところに風情があるのだと、何となく思ひ込んでゐたのであったが、実際はそんなものではなく、暗い畦道や叢の中などを行くのですから、お召物が汚れます、どうか此れにお着替へになつてと云つて出されたのは、今夜のために特に用意したものなのか、それともいつも貸浴衣代りに備えてあるのか、幸子、雪子、妙子、悦子にまで、それぞれちやんと柄行きを見立てたモスリンの単衣であった。ほんまの蛍狩は絵のやうな訳には行かんねんなと、妙子は笑つたが、何しろ闇夜程よいと云ふのであるから、着る物に都雅を競ふ面白さはなかつた。それでも家を出た時分には人顔がぼんやり見分けられる程度であつたが、蛍が出ると云ふ小川のほとりへ行き着いた頃から急激に夜が落ちて来て、・・・・・小川と云つても、畑の中にある溝の少し大きいくらゐな平凡な川がひとすぢ流れ、両岸には一面の芒のやうな草が長く生ひ茂つてゐるのが、水が見えないくらゐ川面に覆いかぶさつてゐて、最初は一丁程先に土橋があるのだけが分つてゐたが、・・・・・・蛍と云ふものは人声や光るものを嫌ふと云ふことで、遠くから懐中電灯を照らさぬやうにし、話声も立てぬやうにして近づいたのであつたが、直ぐ川のほとりへ来てもそれらしいものが見えないので、今日は出ないのでせうかとひそひそ声で囁くと、いいえ、沢山出てゐます、此方へいらつしやいと云はれて、ずつと川の縁の叢の中へ這入り込んで見ると、ちやうどあたりが僅かに残る明るさから刻々墨一色の暗さに移る微妙な時に、両岸の叢からすいすいと、すすきと同じやうな低い弧を描きつつ真ん中の川に向かつて飛ぶのが見えた。・・・・・・見渡す限り、ひとすぢの川の縁に沿うて、何処迄も~~、果てしもなく両岸から跳び交はすのが見えた。・・・・・・それが今迄見えなかつたのは、草が丈高く伸びてゐたのと、その間から飛び立つ蛍が、上の方へ舞ひ上らずに、水を慕って低く揺曳するせゐであった。・・・・・・が、その、真の闇になる寸刻前、落ち凹んだ川面から濃い暗黒が這ひ上がつて来つつありながら、まだもや~と近くの草の揺れ動くけはひが視覚に感じられる時に、遠く、遠く、川のつづく限り、幾筋とない線を引いて両側から入り乱れつつ点滅してゐた、幽鬼めいた蛍の火は、今も夢の中にまで尾を曳いてゐるやうで、眼をつぶつていてもあり~と見える。・・・・・・ほんとうに、今夜ぢゆうで一番印象深かつたのはあの一刻であった。あれを味はつただけでも蛍狩に来た甲斐があった。・・・・・・なるほど蛍狩と云ふものは、お花見のやうな絵画的なのもではなくて、瞑想的な、・・・・・とで云つたらよいのであらうか。それでゐてお伽噺の世界じみた、子供つぽいところもあるが。・・・・・・あの世界は絵にするよりは音楽にすべきものかも知れない。お琴かピアノかに、あの感じを作曲したものがあつてもよいが。・・・・・ 最初の太文字のセンテンスが、290文字。二つ目の太文字の部分は、なんと420文字。 しかし、その後に続く部分は、30字から100字くらいの比較的短いセンテンスが続く。明らかに緩急の抑揚を意識しているものと思われる。(『細雪』のワン・センテンス平均文字数は170字という) これらの文章は、やはり意図的に工夫を凝らしたものであることは、大谷崎の『文章読本』からも明らかのようです。 「此の調子(「流麗な文章―引用者註)の文章を書く人は、一語々々の印象が際立つことを嫌ひます。さうして、一つの単語から次の単語へ移るのに、そのつながり工合を眼立たないやうに、なだらかにする。同様に、一つのセンテンスから次のセンテンスへ移るのにも、境界をぼかすやうにして、何処で前のセンテンスが終り、何処で後のが始まるのか、けじめを分らなくするのであります。 しかし、つなぎ目の分らないセンテンスを幾つもつなげて行くことは、結局非常に長いセンテンスを書くことになりますから、中々技巧を要するのであります。それと云ふのが、日本語には二つのセンテンスをつなぎ合わせる関係代名詞と云ふものがない。従つて、どうしてもセンテンスが短くなりがちでありますが、それを強いて繋がうとすれば『て』だの『が』だのが頻出して耳障りになりますので、昔から、『て』の字が多い文章は悪文だと云はれてをりますのは、寔にその通りであります」 「われわれの口語文体に使われております句読点は、センテンスの終始を示す(。)と、区切りを示す(、)と、単語を区分けする(・)と、引用符「」と西洋から輸入された疑問符?と、感嘆符!と、ダッシュ、即ち―と点線、即ち・・・・と、まず八種類でありまして、(中略)句読点というものも宛て字や仮名使いと同じく、到底合理的には扱い切れないのであります。そこで私は、これらを感覚的効果として取り扱い、読者が読み下す時に、調子の上から、そこで一と息入れて貰いたい場所に打つことにしておりますが、その息の入れ方の短い時に,、やや長い時に(。)を使います。この使い方は、実際にはセンテンスの構成と一致することが多いようでありますが、必ずしもそうとは限りません。(中略)私の点の打ち方は、1、センテンスの切れ目をぼかす目的、2、文章の息を長くする目的、3、薄墨ですらすらと書き流したような、淡い、弱々しい心持を出す目的等を、主眼にしたのでありました」
by jo-toyo
| 2017-03-09 09:26
| 大谷崎ワールド
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