以前の
「良寛さんを訪ねる旅」で、国上山(くがみさん)の
五合庵を訪れた時の私の感想。
故郷に帰り、ここを含めてあちこちに仮の宿りを求めながら10年近くを過ごした後、国上山中のこの五合庵に定住し、約10年を過ごした。
こんな奥深い山の中、しかも寝床を敷けばいっぱいになるような狭い庵に一人で10年を過ごす!
ここは越後、冬は雪も深い。いくら想像を巡らせてみても、その生活は私などにはイメージもできない。しかもここから山を下りて、里にはぼ毎日、食を乞うて托鉢に向かう!
晩年の、日本人の原イメージと言われる「良寛さん」の人間形成は、こうした想像を絶する修行生活から生まれた? この五合庵は、大正時代の再建。
私など白根高原の山小屋にほんの2、3日一人で過ごすだけでもその侘しさ、淋しさに心落ち着かない。電燈も、暖房も、おまけにテレビ、ラジオなど現代文明の利器に取り囲まれていてもそうだ。
良寛さんの時代にはそんなものも何もない。八畳ほどの一部屋、戸板一枚の向こうは人影もない山中。かすかな光の行燈、炭を埋けた囲炉裏だけの光熱。先にも言うように越後の冬は雪も深い。
その一端でも窺いたく、良寛本を読んでみた。
良寛さんでも、侘しさ、寂しさ、孤独感に泣いた時もあるようだ。
山住みのあはれを誰にかたらましあかざ籠(こ)に入れかへるゆふぐれ
山住の冬のゆふべのさびしさをうき世の人は何と語らむ
み山べに冬ごもりする老の身を誰か問はまし君ならずして
うちわびて草の庵を出て見ればをちの山べは霞たなびく
さよ嵐いたくな吹きそさらでだに柴の庵はさびしきものを
いくたびか草の庵を打ち出でて天つみ空をながめつるかも
夜もすがら草のいほりに我をれば杉の葉しぬぎ霰ふるなり
うづみ火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ
み山びの雪ふりつもる夕ぐれはわが心さえ消(け)ぬべくおもほゆ
日々これも修行だった?