江戸時代、江戸の街から見てその秀麗な姿から「
西の富士、東の筑波」と並び称されたという。広重など江戸から地平線を描くときにはよく描かれた。
古代から信仰の山として敬われ、万葉集や百人一首にもよく出てきます。
筑波嶺の峰より落つる男女川(みなのがわ)
恋ぞつもりて淵となりぬる
男体山、女体山の間のこの谷あいが男女川の源流だという。
この源流近くにはハコネサンショウウオやタゴガエルなどの清流を好む両生類が棲んでいる。
万葉集には、ちょっと穏やかならぬ歌が。
鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 吾(あ)も交はらむ わが妻に 人も言問へ この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 言(こと)も咎むな