25~29日で
三陸災害ボランティア に行ってきました。
森づくり集団「栞」の仲間たち4人のパーティです。すでに二次にわたるボランティア活動をしている我孫子山の会の三次隊に便乗させていただきました。
もはや被害の状況などについては、マスコミなどでも十二分に見聞きされていると思いますので、活動の報告を中心に。
移動に前後一日ずつかかるため、実働は三日間。その間、私たちは、
26日 大槌町小鎚川 河川敷清掃
27日 陸前高田市気仙町 ガレキ撤去
28日 釜石市箱崎町 墓参ルートガレキ撤去、清掃
の活動をしてきました。二日目の陸前高田市のガレキ撤去は当初のイメージ通りの災害復旧作業でしたが、残りの二箇所は、いわば被災者の方の「心の復興」のお手伝い?
というのは、お盆を控えて各地で犠牲者供養や慰霊祭の行事が予定されています。大槌町では小鎚川で慰霊の精霊流しの行事が、釜石箱崎町では合同慰霊祭が行なわれるようです。そのための現場周辺のガレキ撤去、清掃が主な作業でした。
さすが活動主体「遠野市
まごころネット」さんの活動の狙いです。犠牲者の方をできるだけきれいな環境でご供養し、地域被災者の方々の心の整理のお手伝いをしたい、という想いだと思います。
毎朝、その日参加したい活動場所の希望を白板に書き込みます。ほぼ希望がかなえられます。この日の参加者は150人くらい。一時からは徐々に減ってきているとのことです。まだまだいくらでもやることがある、ぜひ多くの方に参加して欲しいとのことです。
ラジオ体操、ミーティングのあと、バスで各活動地区に移動。遠野市から沿岸部の大槌町、陸前高田市、釜石市にはいずれも一時間余。アメリカ、韓国、台湾、香港、オーストラリアなどからも老若男女の参加者がありました。
陸前高田市気仙町現場にて。写真撮影はむやみにはできません。班長の許可を得て、班長に写してもらいました。
私たちの頭上10~20mくらいまで津波が来た痕跡があります。海岸から約4km。
釜石市箱崎町の現場で唯一写真撮影が許されている場所、廃校小学校の二階からです。この向こうの墓地に至る道筋をきれいにしました。私たちは「森づくり集団」だということで道の両側の竹などの伐採、片付けを割り当てられました。
竹をきれいに切り揃え、整理して置いた作業に「さすが!」と感謝?されました。「明日も来ていただけますか?」、「いえ明日は帰らなければなりません」 心残りでした。
奇跡の一本松
白砂青松で有名だった「高田松原」で津波被害から奇跡的に残った一本松。被災地の方々を勇気づけていることでしょう。
復興のシンボルとして大切にされています。